ヴィパッサナー瞑想10日合宿の記録6

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6日目の記録です。前回

6日目

この日は夜中の2時半に目覚めました。ヴィパッサナー瞑想を始めると睡眠時間が短くなるというのは事前の情報収集で知っていたので、あまり心配することなくぼーっとしていました。3時半になると近隣の部屋からアラームの音が聞こえました。アラームの音はなかなか止まず、7分後にやみました。

4時になって起きてみると、背中の広範囲に痛みがあることがわかりました。アーナーパーナー瞑想までは体は問題なかったので、これが浮き出た古いサンカーラなのだろうかと思いました。

悲惨な身体

ヴィパッサナー瞑想も3日目になり、だいぶ身体の感覚の観察が進んできました。わかってきたのは、自分の身体が「だいぶ悲惨」な状態にあるということでした。粗雑で凝り固まった感覚も嫌悪せずに観察するよう指示されていますが、あまりにもそういった感覚が多いので絶望的な気持ちになっていました。もう一つは「左半身の感覚がない」ことです。しばらく訓練していると弱いながらも感覚がわかるようになってきましたが、初めは本当に驚きました。

自分の少ない知識に照らし合わせてみると、左脳は言語的思考と右半身を主に担当し、右脳は非言語的思考と左半身を担当するといわれてます。左半身の感覚がないということは右脳の働きが弱いということなのでしょうか。コース後に調べたところによると、PTSDを発症した人は脳の働きが片側に偏ることがあるということでしたが、自分の左半身の感覚が弱い理由はわかりませんでした。ただ、根拠はなないのですが、自分がなんとなく日常で感じていた不安感は左半身の感覚が弱いことと何か関連があるのかもしれないと思いました。

模様

合宿への持ち物に「瞑想クッション用の柄のない布」というものがありました。自分は出発前にどんな意味があるのかと思ってましたが、この日意味がわかりました。「布に柄があると顔に見える」のです。クッションではありませんが、前の人の腰巻きにはマリメッコのような大きな花柄が描かれていました。瞑想中ふとした拍子にこの柄が見えると、何かの顔に見えることがあって結構怖かったです。

ズル

グループ瞑想は相変わらず足が痛くなりましたが、昨日のようなギリギリの状態にはなりたくありませんでした。しかし大々的に足を組み替えるのもカッコ悪いと思っていました(後から考えると執着そのものです)。どうしたものかと瞑想中に考えていたら、あることに気づきました。それは、体の重心を左右どちらかにずらすと痛みが軽減するということでした。痛みは座ってる部分の神経が圧迫されることで現れると考え、ゆっくりと片側のお尻を浮かべてみました。するとかなり痛みが引いていくのがわかりました。こうして足を組み替えたり腕を組み替えることなく、グループ瞑想を終えることができました。一つの技法としてここに記しておくことにします。

「感覚を平静に観察することができますか?」

午前の瞑想ではATから「感覚を平静に観察することができますか?」という質問がありました。グループ瞑想でズルしてるくらいなので、当然平静に感覚を観察できていませんでした。特に、左半身の感覚のない部分では、感覚を求めて(渇望)しまったり、感覚がないことにがっかり(嫌悪)してしまっていたので、平静さを培うにはまだ時間がかかりそうでした。

酔い

ヴィパッサナー瞑想を始めてから、車酔いのような症状が現れました。目をつぶった状態で意識を移動させるので、三半規管が動揺しているようでした。吐いたらまずいと思い、グループ瞑想にはビニール袋を持参し、それ以外の時間は自室で瞑想するようにしました。

カレー

この日の昼食にはカレーが出ました。しかし全く辛くないことに動揺しました。

カエル事件2

この日は午後から雨が降り、またカエルがゲコゲコ鳴き出していました。夜のグループ瞑想が終わった後、ホールの壁側にカエルがいることに気づきました。ホールには例の「アレ」はなかったので、覚悟を決めて素手で捕まえることにしました。両手でカエルを覆って捕まえようとしますが、手首の部分の隙間からカエルが出てきてしまってなかなか捕まえられません。モタモタしているうちにカエルはコースマネージャーさんの付近に跳ねました。するとコースマネージャーさんは素早くサッと片手でカエルを捕まえ、外に逃していました。例によってお礼は言えませんでしたが、修行を重ねた人はすごいと思いました。

コース後に古い生徒さんに聞いた話によると、コースマネージャーさんは慈悲心が強くてゴキブリも素手で捕まえられるとのことでした。「慈悲の心すごい…!」と感動しながらも、もしかしたら古い生徒さんの間で流通している都市伝説かもしれないと思いました。

記録7へつづく